手を焼く新人へアプローチ・回帰的マネジメント
かつて職場で盛んにされていた新人や若手の企画による社員旅行、親睦会。あるいはコピー取りやお茶くみ、かばん持ちなどの雑務。今では何のためのものだったのかその意義を疑問視されるこれらも、真剣に解析してみると「実は今なおかなり有効な教育指導の手段なのではないか」と感じます。題して「回帰的マネジメント」。本稿が社員教育に手を焼いているみなさまの一助になれば幸いです。
俺様な若者たち
知らない、わからない、教わっていない、やったことがない。だからできない。後輩などからそういった言葉を聞いたことはないでしょうか。その一方で彼らの要求通り指導をしても今度は「これって私の仕事ですか」「何の意味があるんですか」「やる必要はないと思います」などと臆面もなく仕事や指導上の課題を上司や先輩につき返してくる。みなさんもそんな状態に置かれてイラついたこともあるかと思います。
知識や技能、ノウハウの習得には座学やレクチャーなどのインプットと、当人の試行錯誤とその経験というアウトプットの組み合わせが不可欠です。職場での教育指導もこの前提でされていることは今更述べる事でもありませんが、昨今教授される側がそれを自分にとって有益か否かを判断したがるのが目立つようになっています。こうした問題は、ハラサワでも新人教育の教科書の一つとして利用している、内田樹の著書「下流志向-学ばない子どもたち、働かない若者たち」で消費主体の無時間モデルを基準としていることにあると解説されています。苦役に服するという投資がいかに早く、極力等価交換で回収できるかが、彼らの判断基準なのです。要するに熱心に指導を行なっても、まずそれが彼らのお気に召すものであるかどうかという分岐があって、そうでなければ説得しなければならない課題にぶち当たってしまうというのが社員教育の現場で頻繁に起きているのです。
ただでさえ一人前になるまでに多くのリソースを投じなければならない新入社員の教育が、さらに面倒くさいものになっているということに「社員教育なんてするのはバカだ」と極論をされる経営者もいらっしゃるとのお話を聞きます。しかし、現実問題としてハラサワを含めた多くの中小企業では、教育が不要な即戦力の人材や勝手に育つ超有能な若手を獲得・定着させることは極めて困難です。だからこそ、この腹立たしい存在をどのように料理すればいいのかが、企業の死活問題であると考えます。
労働の苦役という投資から回収までのタイムラグを極力ゼロにしようとする下流志向な人間たち。ご機嫌取りの難しい彼らを指導する一つの手段として、そもそも「苦役との認識をさせない」という方法を考慮した結果、古典的な社員教育の価値を考えさせるに至りました。抵抗感を抱かれず、負荷も少なくかつ確実に実務経験を積ませて行ける具体的な手段として、かつて企業で盛んにされていたかばん持ちや社員旅行、親睦会の企画などに大きな価値を見出したのです。ハラサワでされている勉強会も同じ性格のもの。最終的に身に着けられるものがなにであるかまでは保証の限りではないものの、教授される側に抵抗感を感じさせず、学びの機会を与え続けることができます。
今回はこれからお送りするネタのご紹介とご説明までですが、「かつて自分たちが下積み時代にしてきたことは、上司や先輩たちがこんな意図のもとにしていた」そんなお話をしていきたいと思っています。
次回の「回帰的マネジメント」では、「お茶くみと掃除」を題材にした方法を予定しています。自分たちが行なっていたものはどうだったか、思い出しておくと分かりやすいかもしれません。