時には厳しさもありです。鬼軍曹的上司

nigaoe_roushi「最も優れているのはいることが知られているだけ。その次が親しみ誉める。その次が怖れられる。その次が侮られる。」

これは老子が道徳経 第十七章の中で優れた君主のモデルを序列順に述べた一節です。かの老子は放任主義のマネジメントスタイルを取った方が組織は上手くいくと考えていたようですが、現場の実態を見ていると端からこのようにして上手くいっているのを見たことがありません。

☆なぜできないのか。「できない要因」
出来ない理由当たり前ですが実務経験がない新卒者たちには、仕事を振られても目指すべき仕事の完成像が上手くイメージできません。さらに完成まで漕ぎ着けるだけの知識と技能がないケースもままあります。
例えば新人に「会議の準備をしろ!」と命じても、「はい!」という元気で爽快な返事をして自分のノートと筆記用具を用意するのが関の山でしょう。会議室のセッティングや資料の用意、関係者への連絡まで気を回せる新人はまずいないはずです。ここで「全然使えない」と嘆息するのは簡単ですが、データもオフィスソフトも入っていないパソコンを前に「全然使えない」とぼやくのと、やっていることはさほど変わりません。

☆教育しても動かない。「やらない要因」
何の意味があるもう一つ考えるべきことがあります。
「やらない要因」についてです。

「やってなんの意味があるんですか」
「なんで私がやらなきゃいけないんですか」

若手が指導や指示へこんな風に切り返えす風景が今では当たり前になりつつあります。こうした功利的な問いの背景には内田樹の著書『下流志向』でいうところの消費主体があるようですが、なんにしても教育される彼らが「自己決定権がある」という認識でいることが大きな課題になっているのを感じます。
新人に身嗜みを整えさせたいときに身嗜みを整えた方がカッコいいとかモテるとか、やらせたい仕事の成果を短期的利益に結びつけるのも即効性がありますが指導、指示の度にこの問答が繰り返されてしまい、根本的な解決にはなりません。

☆鬼軍曹こそ今必要
こうした教育上の課題に今有効打となりえるのが信賞必罰の鬼軍曹マネジメントではないでしょうか。「知らない、できない、わからない」の3拍子や「やるべきか、せざるべきか」そんなシェークスピアのような葛藤とまともに付き合っていては埒があきません。問答無用で最も手っ取り早い仕事のお手本である自分の技能や価値観を叩き込み、厳しい指導の一方で課題の解決と成功には一緒になって喜ぶ。要するに「詰め込み教育」と「やりがいの演出」です。

そうこうして新人や部下たちが順調に指示通りの仕事をこなせるようになるころには、厳しい指導で恐れられたリーダーも仕事における必勝の策を与えてくれる心強い存在であるとの認識になっていくはず。これまで自分がされてきた指導内容の意図や意味を本当の意味で理解するようになるとかつての畏れは尊敬に変わるでしょう。指示指導に従い経験を積んでいく中でどんな時、何をすればよいのかという「仕事の型」を一通り身に着けた時、老子がいうような何もしない上司でいられるようになれるはずです。

子鬼軍曹やりがいや成果の実感は適度なストレスの課題を解決した時にこそ感じられます。「勉強」とは勉めることを強いること。厳しい指導こそ、未熟な新人たちを変え得るものではないでしょうか。ただし信頼関係には十分注意してください。匙加減を誤ると「ブラック企業」や「パワハラ上司」のレッテルを免れません。かなり飴多めの小鬼軍曹。そんなところから始めてはいかがでしょうか。